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【魂の告白】ダンスは不要不急か?「プラナム」の精神が教えてくれる、表現者の誇りと覚悟✨💎

皆様、ごきげんよう。Emily Diamondです❤️

今日は、私が「ダンサー」として、そして「スクール主宰者」として、大切に守り続けている心の聖域についてお話しさせてください。

「ダンサー」という言葉に宿る責任

私は自分を「ダンサー」と呼ぶ時、いつも心地よい緊張感と、背筋が伸びるような責任を感じます。私にとってダンスは、単なる趣味や仕事を超えた「人生そのもの」であり、誇り高き天職です。

数年前、世界が困難に直面した時、過去の生徒たちから「ダンスは不要不急だ」という声が上がりメールが殺到しました。

でも、私たち姉妹は確信していました。

「ダンスこそがこの世を照らし、人類を愛と喜びで満たす、宇宙からの最大の贈り物である」と。

「恐れ」と「踊り(愛)」は、真逆の周波数です。

どんなに嵐が吹き荒れても、私たちは聖なる直感に導かれ、最大限に優雅で、誇らしく舞い続けました。

その覚悟があったからこそ、15年という月日を積み重ねた今日があります。

🏛️ ジャンルを超えて知ってほしい「プラナム」の精神

以前のブログで紹介した、師の足元に触れる敬意の形「プラナム(Pranam)」。

これはインド古典舞踊の世界だけの話ではありません。

「私は別のジャンルだから関係ない」と思ってほしくないのです。

• 同じ「ダンス」を愛する者として。

• 同じ「舞台」という聖域に立つ者として。

• そして、「師匠がいなければ、今の自分は存在しない」と知る一人の人間として。

📜 「プラナム」の文化的背景

インドの伝統において、師匠の足元に触れる行為には深い意味があります。

自我(エゴ)の放棄: 身体の中で最も「尊い」とされる頭(知性)を、最も「低い」とされる足元に近づけることで、自分の傲慢さを捨て、謙虚に教えを乞う姿勢を示します。

エネルギーの循環: 師匠の足元から流れる功徳や知恵、そしてエネルギー(シャクティ)を、弟子が手で触れ、その手を自分の額や目に当てることで受け取るという「目に見えない力の受け渡し」でもあります。

敬意の最高位: 言葉での挨拶を超え、「私の全存在をもってあなたを敬います」という身体的な表現なのです。

私が以前ブログで書いた「時間や数字を超えた、人生を捧げるような学び」と「プラナム」の精神は非常に強力な繋がりがあるのです。

師への献身(Devotion)は、過去の全ての叡智と自分を繋ぐパイプになります。

この繋がりを大切にする心があるからこそ、私たちは自分という小さな枠を超えて、大きなエネルギーを表現できるのです。

🌈 全ての表現者、そして次世代へ

今、何かを表現している皆様へ。

自分の仕事に誇りを持ってください。あなたの舞は、誰かの絶望を希望に変える光です。

以前ブログで記載した「何時間やったか」という数字の物差しを捨て、「どれだけ命を吹き込んだか」という魂の物差しを大切に。

謙虚に学び、素直に吸収し、そして誰よりも自分を信じて。

Emily Diamond Japanは、これからも力強く、そして優雅に、愛の周波数を放ち続けます。

共に、この美しき世界を踊り明かしましょう!💎✨

愛と希望を込めて。

Emily Diamond

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