ごきげんよう、Emily Diamondです✨
今日は、私が歩んできた「学びの道」について、少し長いお話をさせてください。少しでもご興味を持って頂き、最後までご覧いただけたら幸いです。

10代の頃、私は「将来はダンスの神様と結婚する」と本気で祈り、誓いを立てていました。
私は、ベリーダンスを始めた1ヶ月後にカタックとボリウッドを、その1週間後にタヒチアンを、そしてその一年後にはフラメンコを…。
もともとクラシックバレエを踊っていた私にとって、それは「あれもこれも」やっている感覚ではなく、バレエという基礎の幹から枝分かれした、ごく自然な探求の旅でした。
ご想像の通り、どの踊りも週一ではこの私が満足するわけもなく、勉学の合間を縫っては、ダンスに明け暮れていました。理解して応援してくれた家族がいてくれたから、今の私とEmily Diamond Japanがあるのだと痛感しています。
もちろん10代で怖いもの知らずの年代ですから、闘争心もありました。
ただ、今しっかりと思い出せるのは、私のライバルはいつも本気で自分自身でしかなかったことです。
確かに周りに、同年代のダンサーもおらず、みんな私より20歳以上は平均して年上でしたから、かなり可愛がって頂きました。
私は長女で姉のような存在が欲しかったので、優しくて同じものが好きなお姉様たちが沢山いる、そんな風に思いながら兎に角自分の踊りに全集中をできたわけです。
私が体験した「クロスラーニング」の恩恵。
✨「違い」を知ることで、「真実」が浮き彫りになる
複数の舞踊を学ぶ「クロスラーニング」をして本当によかった点、それは、双方の踊りの特徴が「明らかに!」わかることです。
一つの踊りの中にだけいると、井の中の蛙になり、長く続けるほど「私は一体何を踊っているのだろう」というモヤモヤに陥ることがあります。
ですが、複数の視点を持つことで、作品の中に隠された「特徴」という名の暗号に気づくようになります。
例えば絵画や、映画など、その他舞台で、アラビアンを題材にしている作品がありますが、ある種の「特徴」を捉えているのに気づきます。
これは、私にとっては法則みたいなものであり、暗号のようなものでもあり、その中でいかに共通点を見出し、まるで間違い探しや答え合わせをするように、作品中に作者が意図する「アラビアンそのもの」の形がはっきり浮き彫りになってくるのです。
今の令和ではあり得ないという常識になってきましたが、私がベリーダンスを始めた頃はインド風のものとごちゃ混ぜ感がありました。
その中で、いかに「これは正統派エジプシャン」「これはターキッシュ」「これはインドフュージョン風」「これは…ん?エスニック?」みたいに、しっかりと特徴をとらえて、自分が踊るときには一体自分が何を「どう」踊ると、「そうなる」のかを、自分なりに傾向と対策をしていったわけです。
今の時代のようにインターネットで情報を得るのが一般的ではない時代なので、令和の方には不便かもしれませんが、アナログが幸いにも私には自分の感覚を研ぎ澄ますパワーをぐんぐんと養っていきました。
しかも、私がついた先生たちは皆母国語が日本語ではないので、英語が主でしたが、私も突っ込んだ解剖学の専門的な言葉もそこまで当時はわからず質問もままならないので、最初のうちは自分から疑問に飛び込んで、自分の力で答えを獲得する意気込みで生きてきました。

✨ 2. 恩恵のシャワーを循環させる
それぞれの舞踊が持つ「宝」を掛け合わせることで、表現力は劇的に進化しました。
その舞踊ごとの美しき宝、いわゆる恩恵のシャワーを浴びるように生きていました。
当時もベリーダンスではそこまで詳細な表情についての学習は組まれておらず、自分の感性とリアルな感情で表現と向き合います。
私生活を豊かにしたり、音楽や歌詞の世界観を理解していれば十分に表情には還元できますが、私が表情に関して感謝しているのはカタックです。
• カタックとベリーダンスの表情:
先程も申しましたが、ベリーダンスでは表情の学習は少ないですが、カタックの「アビナヤ」が私の表情と心に花を咲かせてくれました。
逆にカタックの中で女らしさが求められる時、私は女性性と密接な舞踊であるベリーダンスのあの甘くて切ない感覚を「全身で恋してるの〜」と思いながら踊ると、師匠から「エミリーの表情はため息が出るほど特別。良いわ〜。」と喜んで頂きました。純粋に嬉しく、益々磨きあげようと自らに誓ったのを覚えています。
• タヒチアンの力強さを全ての舞踊へ:
タヒチアンでは圧倒的な腰の強さを鍛え上げ、特別な厳しいトレーニングを続けてきました。内転筋やハムストリング、そして、足底筋の持つパワーと役割を知りました。
それをベリーダンスでは高速の技や、上半身を絶対にぶれさせないアイソレーションの技と自信、足腰の強さであのベリーダンスの「腰だけが別物!」そんなテクニックを磨きました。
観客が喜んでくれるような多少アメリカンな技まで習得しました。
タヒチアンがなければ不可能な技が多数ありました。
• 国境のないダンスの繋がり:
タヒチアンの恩恵をカタックに繋げられたのは、鍛えた内転筋でチャッカールが素晴らしく安定したこと。
そして、「神に捧げる…」のような表現が出たとき、そして「自然を讃美する」というような表現をするとき、タヒチもインドも驚くほど同じような間合いや手元、表現をしていることに気付きました。
「ダンスってもともと一つだったんだ。国境なんてないんだ。」と確信させてくれました。
✨ 3. フラメンコとバレエへの回帰
フラメンコは、私の人生でバレエの次にシューズを履いて踊るトキメキいっぱいの舞踊でした。
笑顔と神話のインド(カタック)と、険しさと迫害のスペイン(フラメンコ)という両極端な探求を楽しみました。
スペイン舞踊を学ぶにあたり改めてバーレッスンからバレエも見直し、手から足先まで、新たな感覚と角度、カウントに間合いと学んでいきました。
フラメンコのおかげでカタックのタッカールは強化され、アビナヤは苦の表現が増えました。
カタックからスペイン舞踊では角度と腕のホールドがスッと浸透して、表情はベリーダンスの妖艶さが自然と湧き出てきました。
また、タヒチアンの内転筋のおかげでシューズを履いていても、外の余計な筋肉を使わずに、おかげで身体を痛めることはありませんでした。
舞踊を学ばせて頂くと文化的背景への探究も捗ります。
今までの疑問に対して点と点が線で繋がり、ジプシー(ロマ)がどこから来たか、衣装や音楽、食や芸術作品にも共通点がある、どの文化がどの時代に交わったかなどなど知ることができました。
そして、これらの旅を経て思うのは、舞踊を身体で表現するにいり「原点であるクラシックバレエを習っていて本当によかった」ということです。
基礎が身体に染み付いているからこそ、どんなジャンルでも身体が素直に心地良く動く。
基礎こそが、自由へのパスポートなのです。

✨ 4. 舞踊という「教養」、その品格について
様々な舞踊を学ばせて頂いている中で、私は礼儀作法や縦横の繋がりといった「暗黙のルール」「その世界の常識」を教えて頂けたことは本当に幸運でした。
兎に角、礼儀作法が知らず知らずのうちに自然に学べた事は教養として感謝致します。
舞踊の世界は、アンダーグラウンドの娯楽とは土俵が違います。どちらが良いとか悪いではなく、そこには双方に明確なリスペクトの念が存在します。アンダーグラウンドな基準や常識は、ときに舞踊の世界では御法度であり、通じないことも多いのです。また、逆も然り。
これからも私は舞踊の世界に生かしていただく姿勢として、柔軟で素直な気持ちを持ち続けることを大切にしていきます。
教養としての舞踊を身につけることは、人生そのものに気品と彩りを与えることだと信じています。
皆様も、もし今、自分の表現に迷いがあるのなら、少し違う角度の「扉」を叩いてみてください。
その先で、きっともっと深く、輝かしい「自分自身の踊り」に出会えるはずです✨
最後まで読んで頂きありがとうございました✨
愛と、学びの光を込めて、
Emily Diamond
















