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外見を見た様に演じることの問題点

あなたはお稽古場でダンスを習っている時、『上達する為に』どのような事に意識を向けて、そして、着目していますか?

本日は、『上達の為の』その”ちょっとした”興味深い理解と方法をお伝えさせて頂きます。


先ずお話ししたい点は、ダンスを踊る人、又、習う人が陥る最大の間違いについて。

それは、踊り手の外見を見た様に演じようとする事です。

え…でも、良くお稽古中に『見た様に真似してみて〜』『先ずは見たままのものを真似するところから』って言ってない?

そう。そうね、確かに言っています。ただ、今日はこの『見た様に真似してみて〜』『先ずは見たままのものを真似するところから』の言葉の真の意味も含めてご説明したいと思います。


さて、『踊り手の外見を見た様に演じようとする事』の問題点とは?

面白いことにこの問題はダンスだけでなく、スポーツを行う方々にも多く当てはまります。ダンスとスポーツは、単純に、身体を使うことでも多数の共通点を持ちますものね。スポーツやダンスを学ぶ場合でも、習い初め初期段階では”ただ純粋に習いに来ること”が楽しくとも、当たり前ですが次第に知識が増え、全身のあらゆる部分を動かそうとしたり、固定して形を維持しようとして自らの運動機能を失ってしまうことがあります。

我々の身体は誰しも生まれながらに備わっている素晴らしい運動機能によってコントロールがされております。そして、全身を繋ぐ筋肉が一定の動きを持つことにより、様々な作業や運動が出来る様になっています。

その動きは『運動神経』によって意識的にも無意識的にも身体を動かす事が可能となり、我々の日常での多くの作業が苦も無く出来る様になっています。我々の身体って本当に素晴らしいですね!

この『運動神経』の働きは決して人間だけでなく、あらゆる哺乳類に言える事でなのだそう。我々人間を含め、多くの場合は目的を持った意思の元、我々の外見的な姿が自然と作られていくのです。


さて、話をダンスの方向へと戻して参りましょう。

Emily Diamond Japanで学べる舞踊(ベリーダンス、ボリウッドダンス、ベリネシアンダンス®︎、デュエンデメラキ、一部バレエモダンを含む、一部美身舞を含む)を踊る時は、イメージで言うと上半身と下半身による大きな連動する力を生み、意識してボディパーツ同士を内側で繋げていかなければならず、部分的な動作のみでの身体への意識が我々の目的とするパフォーマンスを阻む結果になっている事が多いのです。

例えば、ベリーダンスでのアイソレーションをする上での上半身又は下半身のホールド、そして、北インド舞踊のカタックやタヒチアンダンス(EDJではベリネシアンダンス®︎)の一部動きでは、上半身のホールドをしたまま練習をしますよね?一部のみの動作だから良いものの、ダンス初心者さんは『外見的な姿のみ』を重視するが故に、上半身の筋肉を固定して何とか力ずくで維持しようとします。そうする事で全身の運動機能が機能不可能な状態へとなります。もう一度言いますが、あくまで一部のみの動作だからまだ大丈夫なのです。上級者は上半身だろうが、下半身だろうが、まさか筋肉を固定しながら踊り続けることはしないでしょう。(←ある特定の役で演じる場合は別) 何故ならば、上級者はそうする事による身体への結果や運動機能が失われることも必ず理解しているはずだからです。

我々ダンサーとしては、身体の一部のみを動かし、身体を固定した状態にも関わらず全身運動を行うと言う事は、自らの重心を目的の方向へ運ぶ事ですらも、また、適切なダンス運動を行う事ですらも難しくなっしまうのです。ダンサーとしては、単純にこの身体の使い方は不利よね。

また、こんなことも想像出来るでしょう。例えば、スポーツの専門家が、我々が踊るダンスジャンルを習った途端に、まるで運動経験ゼロの初心者の様なギクシャクとした動きとなってしまうのはイメージ出来ますよね?これ、想像だけでなく実際多くあることなの。そして、この理由は彼らにとって単にダンスが難しいのではなく、ジャンルによってのダンスの踊り方が、一部運動機能を無視して部分的な運動や形態で行われていることがあるからなのです。

ダンスという芸術の様々な美しい形や運動表現は、その様な『外見的な姿のみ』の形を作ろうとしているのではなく、正しい運動機能が使われる事により反射的に生まれるものだと理解出来ます。

それでは、我々が目標とし求めてる、美しく同じ形を維持しているように見える上半身のホールドや、うねる様なアイソレーション、安定感ある下半身などはどの様にして生まれるのでしょう?

結局のところ…

身体の機能を正しく理解し使うことから

身体が音楽に適切に反応することから

以上の2点から生まれてくると考えます。簡単のように思えるかも知れませんが、ね?これが意外と難しく奥深いのよね?精進精進…


踊り手のアームスの位置関係、そして重心の運び方、どの身体パーツを使えば○○の動きが可能となるかを理解することが叶えば、全身を繋ぐ運動を行う時、非常にスムーズで自然に形を作ることができます。

そう。その為、正しい運動を行えば、何の苦もなく自然に美しく自由に使える身体が生れるのです。

振付でも即興でも関係なく、一曲を通じて呼吸も出来ない程ギュッと力を入れて形を維持して踊っていなければ形が崩れてしまう様では、例え外見が先生の踊りや形を『見たまんまの形』にしていたとしても、その演じ方はすでに本来のその舞踊の踊り方ではなく、外見の形のみならず下半身の運動もその都度記憶の元に動かし続けなければならず、音楽や空間に対して反射的に演ずる事は不可能となってしまうのです。

多くの踊り手が自分の事で精一杯で、音楽や空間、芸術面、表現、更には披露する環境に気を配る事が出来ていないように感じます。

自分の持ってる”ある種”のルーティンや運動表現に拘束されてしまい、とても苦しい状態の中で踊ってしまいがちです。

そんな中で踊ると、こんな残念な踊りを演ずる羽目になります。

→ 無理やり作った笑顔で不自然な踊りをする。

うーむ。そんなダンスをする私、どう考えてもいけ好かない。


では、美しい表現とはどのように生み出されるものなのでしょう?

✴︎心から楽しく演じること(これ基本)

✴︎意味のある感情の高まりを感じること

✴︎使命感を持つこと

✴︎空間、音楽、芸術に対する思いが強くあること

✴︎身体の支えや反応など、自らの身体が成す運動表現を理解すること

少なくとも、これらを意識し踊りに生かすことで更なる豊かさと美しさを自然に生み出すことが可能だと信じています。

どんなに大きな表現も踊り手にとっては『頑張って』創り上げるのではなく、思いのままに反射的に生まれる事が大切であり、上記にあげた点は私達の日常と何だ変わらないのです。


最後にまとめ…

踊り手は、『外見の決められた形』や『外見の決められた運動』を思い描くのではなく、また、見ている人達も踊り手が創り出す『外見の決められた形』や『外見の決められた運動』のみを見るのではなく、ダンサーの内側から織りなす『その時生まれたムーブメント』そして、『その時生み出した心の様』を感じる事が、両者にとっての健全で豊かなダンスの楽しみ方なのだと思います。

だからこそ、例え同じ振付や曲、同じ衣装やメイクで踊ったとしても、又は究極に双子姉妹であっても踊り手よって様々に演じることが叶うのです。ですから、もうこういう場面で悲劇のヒロインぶりに『先生!これでは私の個性が生かされません!泣』みたいな思考と発言には自ずとならないはずよ。安易に泣いて訴える前に様々な視点から考えてみて欲しい。その訴えは、あなたが外見のみに注目している証拠。

ダンスはもっと高次元に存在するもの。

もう一度思い出したいのは、世界中の誰でも『踊る才能』は備わっているということ。それをしっかりと認識し理解することから初め、舞踊ごとの特性や伝統に基づき、決められた形や芸術表現を見せる舞踊的な要素も大切です。またそれと同時に、我々の楽しさは、踊り手としてその時の感情によって多種多様に演じられることへの喜び、そして、身体が心地良く、無理なく、適切に反応するスポーティさにあるのでしょう。

本日も最後までご覧頂き有難うございました。

踊って世界を笑顔で照らそう♪

Emily Diamond

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